『自転車乗るお』

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google play 無料アプリ FlipaClip で使用したひとコマ『自転車乗るお』から

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2016年3月17日木曜日

希望だね、ビヨンセ!

希望のビヨンセ!

遅れてきたビヨンセ・ファンとして書いておこう。


ブログって、書くって言う? 打つって言う? と言う疑問はあるものの、ビヨンセについて書いておく。

ビヨンセの曲がヒットしていたことも知っていたが、どうしてそのとき、その曲に耳を貸さなかったのか、と言えば、ビヨンセは、デステイニーズ・チャイルドというグループに所属していたが、デイステイニーズ・チャイルドにしても、私の頭の中では、80年代からだったと思うが、ラップやヒップホップの流れの中にあって、その手の音楽は私の中で、なんだか行き詰まってんじゃないの? という見方になってしまっていて、それほどの魅力はなかった。

今になってデイステニイーズ・チャイルドの曲もいいものがある、と思っているのだが。

そう、ラップやヒップホップ、打ち込みの音楽の中にもいいものがある。

あったのだ。

そのことに耳を塞いでいたし、自分としては、それほどの音楽ファンだとも思ってないし、その頃は、古いJAZZのレコードを聴き続けていこう、などと考えていたくらいで、時代を行く、ポップ・ミュージックを追う気もなかった。

で、なんでここでまた、そんな人がビヨンセがいい、なんて言うのかと言えば、話は長くなるので、核の部分を言うが、とにかく、ポップ・ミュージックも終わっちゃってんだろうなあ、くらいのことを思っていたのだが、そこでビヨンセを見つけて、感激して、ビヨンセはいい、ということになったのである。

どうして見つけたのかというと、YouTubeである。

映像ということについてもそうだが、YouTube があるため、ポップ・ミュージックとの接し方も変化した。

そのことについての興味とSNS で、私はgoogle+をやっていて、そこで、好きな曲、好きな映像をポストできるので、YouTube をよく見ていた。

それは、つい最近、この間マドンナが来日したので、マドンナの映像を見ていて、マドンナ以外のアメリカのポップ・ミュージックも気になって、たまたま出てきたビヨンセをクリックして、ビヨンセ再発見、ということになったのが経緯である。

それは、アメリカン・フットボールのハーフ・タイム・ショウの映像で、すごかった(Super Bowl)。

これだけのことができるのか! と驚きがあった。

それ以来、ビヨンセ・ファンになってしまった。


ビヨンセビヨンセビヨンセ、とべた褒めだが、ビヨンセがいいと思うのは、ビヨンセの周りのいろいろなスタッフの力も鑑みてのことで、総合力としてすごいと感じられて、その凄さがいい、ということで、ビヨンセすごいな、ということになっている。

ビヨンセ個人がどんな人間性を持っているかとか、ちっとも知らない。

ビヨンセのサクセス・ストリーだの何だのは、全く読んだことがない。

YouTubeの映像ばかりで、いいと言っている。

そう、その総合力を映像から感じる。

多くの人が関わっているということからもそうだが、すべての中心にあるのがビヨンセだとしても、ビヨンセは、偉くて、スターで、とかいう感じが、過去の、そんな匂いをはなっている人たちとは、そのへんが、どうも違う。

スターと言うよりも、リーダーを演じてるみたいな印象がある。

それは、ビヨンセにスター性がない、ということでなく、なんだかその辺が新しく感じる。

なんだかとっても民主的なものをビヨンセ映像から感じる。

そして、その民主制は、ライブ時もそうで、ステージを、ライブを、客も一体化して楽しめている印象がある。

見る側を巻き込んでのステージ作りみたいなことを感じる。

行きたくなるよね、ライブに。

徹底的なエンターテインメント性を感じる。

新しいと思ったし、今の、これからの時代にあってんじゃないの、という感じがする。

感動、面白い、わくわくする、時代性、とかポップ・ミュージックに必要なことがビヨンセの音楽で戻ってきた感があるし、今の時代の音楽の希望だとも、かってに思っている。

もうちょっと、どこに感動しているか書くと、マイケル・ジャクソンは、マイケル・ジャクソンがすごかったのだが、ビヨンセは、ビヨンセを核に、みんなですごい、と感じるそこのところ。

この文章で、わかってもらえるかどうか自信がないが、自分のなかでは、今ビヨンセは時代の希望だとさえ、思う。

見て・聴いて、いいちからをもらえる。

それだけでも、私の中ではすごい。

また、書くかも。










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