『自転車乗るお』

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2016年12月29日木曜日

12/11 音楽仲間のモリシタタシリモくん送別会

さよならのこちら側 モリシタタシリモくん送別会

12/11 浜松上島 居酒屋やらまい家にて

沖縄から静岡県にやってきたモリシタタシリモくん送別会が、12/11浜松上島のやらまい家という、まさに浜松的な名前の居酒屋で行われた。

その前に、ライブハウスなんでモールで、この会の主催とも言える赤塚ズンさんのワンマンライブを堪能した。

その後、やらまい家に。

話は外れるが、やらまい家にその後集合したのだが、遠鉄上島駅の周りをぐるぐる回ってそれでもその店がわからずに、電話で聞いたりしてたどり着いた。

ぐるぐるしていたのは、上島というところは、東半分新興住宅地なのだろうか? 新し目の家やアパート、マンションなんかがあるだけで、お店が続いているとか、飲み屋が立ち並ぶ、という感じのところが目につかず、どこにその居酒屋があるかわからなかった。


主催、赤塚ズンさん。
なんでモールで。
浜松オートで歌ってきた、とその時のことを話してくれていた。
宇崎竜童さんに間違えられたんだとか。


モリシタタシリモくんがはじめてなんでモールに歌いに来た時、私は、確か、その場にいたんじゃないかと思う。

その時は、なんか変わった男だなあ、という印象だったのだが、その後モリシタくんは、オリジナル曲をばかすか作り、ライブハウスで話題の男となり、CDも作ってレコ発ライブをやり、すげー活躍だ、とみんなが思っていたら、沖縄に帰る、ということになってしまったようだ。

その突然さが惜しまれる。

この夜、この会で、忌野清志郎さんと一緒にやっていた23's のレコード(CD)? を聞いていたらしいことを言っていて、23's のアルバムを聴いた人にはじめて会ったなあ、とも思った。

そうそう、モリシタくんとは、中古レコード市でも会っていた。

音楽的教養度の高い奴だったんだと思う。

私としては、浜松の音楽の現場 ~ ライブハウスやイベント会場 ~ などでモリシタくんを見かけ、活躍を知り、話し、の関係が続いていくんだろうなあ、と思っていたので、突然の帰郷のことは、意外なニュースだった。

この夜の会では、進むにつれ、フジさんの、フジ・フォーラム参加の呼びかけに変わっていって幕を閉じることになったが、モリシタタシリモくんとのいい別れの会になったと思う。

磐田・浜松とかでの写真や、関わりを持った音楽仲間との記念アルバムがモリシタくんに渡された。

沖縄についても意識する会になった。

沖縄かあ。

お金と暇ができたら、モリシタタシリモくんを頼りに、行ってみるのも悪くない。

行けたらなあ、とモリシタタシリモくんと出会ったことで、この先も考えることがあるはずだ。

居酒屋やらまい家店内で。
釣り好き主人のお店だった。


2016年12月25日日曜日

12/24 浜松 Esuqueita68 クリスマス・ジャムセッション参加。


謎のセッション初参加の夜。

12/24 浜松 Esquerita68 クリスマス・セッション

音楽仲間・ドラマーの柳瀬さんに誘われてクリスマス・イブの夜エスケリータ68に。

気分的には、こう毎週忘年会的なものが続くことに疑問で、そうそう年賀状書かないと、などと考えていたところだったのだが、エスケリータ68のセッションは、私と柳瀬さんの間で謎で、エスケリータ68に詳しそうな足立楽器店員に尋ねても、ブルースやってんじゃないですか? みたいな回答で、謎は深まるばかりだったので、今年のうちに謎も解決しとくか、みたいな気持ちで少し遅れてエスケリータ68入り。

この、少し遅れて、というところが、私の謎に対する反応だったと思う。

わかっているところだと、私は大抵時間通りに行く。

もちろん、その少し遅れて、の前の私用が長引いたからでもあるが。


着いて、びっくり。


顔見知りのサワダさんが、カレーを食べてるじゃないか!

他、他のセッションで顔なじみの人たちがいたりで、それほどこわいところではなかったなあ、とビールをがぶがぶ。

私の頭では、なんだか音楽理論を元に、細かいことを言うような人たちが集まってるセッションじゃないだろうか? という感じだったのである。

クリスマス衣装をまとい、頭にサンタ帽をかぶっていた女性は、ダンサーでも佐鳴湖の妖精でもなく、セッション主催者だった。

私もサンタ帽をかぶった。

サンタ帽がその場の連帯感を生んでいたような気もする。

ビールが入ったので、歌で参加してみることにした。

ビールがないと歌えないということはないが、なにせ初めてのところなので、ビールのりで行くことにした。

これなら、ダメでもOKだよなあ、とこのセッションの懐の深さを早くも読み取った。

ブルースセッションで歌うということになると、回さなくてはいけない責任感を感じてうまくいかなかったりするのだが、ここに、その重さはなかった。

クリスマスの夜であり、お気楽なセッションの夜であり、なるほど、こーか、とここのセッションを感じ取り、ビールも進み、時間も進んでいった。

歌を歌いたいということがあるので、こんなセッションもいいかもという着地点に到達した。

早い話が、音楽好きの人たちが、肩の力を抜いて集うアバンギャルドな出たとこセッションなのか、というところである。







なかなか充実した。

クリスマスも感じられた。

さあ、年賀状を書こう。


2016年12月23日金曜日

2016 12/18 フジ・フォーラム。










2016 フジ・フォーラム

12/18 今年を締めくくるイベントだったのか?

















先週の金曜日、土曜日、日曜日、と出かけるイベントが3日続いた。

この3日間が今年最後の私的な山場だと思えた。

金曜日は、豊橋 AVANTI ブルース・セッション。

土曜日は、愛大落語会。

このふたつは、問題はなかったが、日曜日のフジ・フォーラムは、正直どうしよう、行くのか? と自問し続けてしまっていたイベントだった。

何と言っても、よく分からない。

なぜか、行く前から、3次会までスケジュールが組んである。

逃れられない感じがプンプンあって、どういうわけか、私は受付担当なので、なおさら逃れられない。

また、18日の昼は、笑カフェ・ぱぴぽんお笑いライブの前座もあった。

今年最後である。

笑カフェ・ぱぴぽんは、今年の締めとして、行かなくてはいけない。

また、その前夜、このところ大丈夫か? のパソコンが、また起動しなくなって、クリーン・インストールをしなくては、と長い時間データを消去して、そのあとまたインストールして、その作業は一晩続くことになった。

朝は朝で、データを入れたり設定をし直したりしなくてはいけなかった。

笑カフェ・ぱぴぽんお笑いライブは、いつもより遅い時間に到着した。

お笑いライブ終了後は、動画を撮りに行ったり、リサイクルの店にパソコンを見に行ったりした。

残念なことに、目をつけていた格安 iMac は、すでに買われてしまっていた。

格安すぎて、大丈夫か? という代物だったが、とりあえず、まあ、1年でも使えれば、という思いで、金を集めて店に行ったのだが、見事に残念。

18日のイベント前に、これだけあれこれ起こるんだから、これはよっぽど何かあるイベントだぞ、あー、家の iMac 気になる、という思いを抱えたまま、会場に。













会費がなかなかのものなので、がばがば飲んで、食べて、元を取ろう、という気持ちが働いて、ステージで行われていることよりも、飲食と、受付に力を入れた。

集中したせいか、レジの金はバッチリ合うし、店主から、終了後、ビールをもらった。

















終了後は、すっかり出来上がっていたのだが、2次会に行かなくてはいけなかった。

浜松からだけでなく、長野、名古屋からもミュージシャンが参加しに来ていた。

そんな方達と、馬鹿話をしながら、宴は続いた。

気が重かったのは、なぜこの時期に、そんなイベントをしなくてはいけなかったのか? ということからだろう。

金はかかるし、11月から、皆さんイベント続きだったりする。

しかしまあ、そこでみんなと話せて、主催のフジさんからも、このイベントに対する気持ちが聞けて、同じように感じていた人たちの気持ちも和んで、よかったよかったの幕引き担ったと思う。

主催のフジさんが言うには、これは、フジ・ロックじゃなくてフジ・フォーラム。

ということで、そこでまた、なんで音楽じゃないんだ? とか皆さんイラッとしたりしたりしたのだが、終わりよければ、という感じで2次会は終了した。

てんくうという居酒屋に行った。

すでに予約してあるのがフジさんらしい。

『さわやか緑茶』が美味しい店だった。

フジ・フォーラムという形が出来上がった感がある。

また来年あるのかなあ?

主催のフジさん大活躍だったのは確かで、その思いをみんなで受け止めたイベントだったことは間違いない。

あー、これで今年の山場はすぎたな、とか思いながら私は夜の街を通り過ぎて行った。

ブログにこのことが書けて、年を越せる感じもある。













写真は、フジ・フォーラム会場の浜松だいだい。




















2016年12月17日土曜日

12/16 今夜も俺のギターは火を噴かずに終了。今年最後のブルース・セッションでした。

今夜もギターは火を噴かない

12/16 豊橋AVANTI BLUES SESSION

今年最後だし、先月行かなかったし、そういえば、あの人来るって言ってたな、とかあれこれ考えて、12/16の夜、豊橋 AVANTI ブルース・セッションに向かった。

遅れて行ったのだが、やはり師走。

みなさん忙しいのだ。

私だって忙しいくらいだから、かなり集まった人は少なかった。

少なくても、そこから増えるのが、ここのいつものパタンなのだが、増えなかった。

となると、私としては、おー、今夜は俺のギター大噴火、火を噴きっぱなしかい、と顔には出さず、ほくそ笑んでいたのだが、たらたらとブルース・セッションの楽しみ方講座みたいなことになってきた。

豊橋と浜松のブルース・セッションの違い、そして、西と東のブルース・セッションの違いを聞くことになって、おはらさん、バッキングの弾き方はこうでなくちゃあ、とノリの出し方などのレクチャーまで受けた。

西のブルース・セッションは、バッキングが大事である、ということで、火を噴くギターなんてとんでもなかった。

そーかー、バッキングかあ、とひたすらリフを頑張り、おはらさん、ギターの位置が低すぎる、といわれ、60年代テケテケ族みたいな感じの位置でギターを弾いた。

私ほここのところ、THAO & GET DOWN STAY DOWN というバンドを見つけ、お気に入り化して、YouTube で 何度も何度も、見ている,聴いている。

そのバンドは、上手いか下手かといえば、下手の部類だと思う。

が、それゆえの自由さや、魂の音楽、みたいなことを感じて聴いている。

影響されている。

なのだが、そういう風に、弾きたいように弾いちゃいかんのだよ、ということになると、なんだかがっくしなのだが、他の方との兼ね合いでですなあ、抑えて弾くことも大事だろう、と考えてこの夜はバッキングに専念した。

ブルースは、ロックと違うのである。

今年最後のブルース・セッションは、そんな感じで終了した。

しゃーない、ブルース・ギター、もっと上手くなるか、という来年になる予定である。



2016年12月11日日曜日

『キャメロット / 年の冬ジャズライブ・パーティー』

年の冬

キャメロット/ジャズライブ・パーティー

ジャズライブ、そしてパーティ 『キャメロット/ 年の冬』に12/10の夜お邪魔してきた。



お酒、

料理、

クリスマスを感じさせるスタンダードなジャズ・ミュージックの生演奏、

あれやこれやの語らい、




この一年のことやら、浜松の街、また、これから先のことも意識してしまう夜になった。


2016年12月10日土曜日

私愛用iMacは、今年の暮れも頑張る。頑張りすぎかもしれない。

頑張るiMac

Yosemite をクリーンインストール

12/8, 使用パソコン iMac にYosemite をクリーンインストールした。

先日から調子が悪く、起動困難状態で、これはもう寿命かなあ? と考えていた。

大体が、中古で購入して来た時からして、これは音がおかしいだのと工事に来た電気店主から言われていた iMac だった。

購入した年の暮れには、メモリーの容量不足から、やはり起動困難状態が続き、その時は原因が何が何だかわからず、調べに調べ考えに考えて、メモリーの増設に踏み切って、事なきを得た。

そして、昨年も、暮れの頃に、起動に関してのトラブルが続いたと記憶している。

毎回、これはダメかもしれない、と思うものの、そのダメをクリアして、次の年を迎える事になる。

今年のこのトラブルこそ、この iMac 最後のハードル越えなのではないかと思う。

Yosemite をクリーンインストールしてみたら、ちゃんと起動するようになった。

クリーンインストールは、手間がかかる、面倒くさい、という事がマイナス面としてあげられるようだが、クリーンインストールのやり方さえ知らなかったし、クリーンインストールしてみようと考えたのは、これもダメ、あれもダメからの、次の手段としてのことからだった。

クリーンインストール。

すると、起動するのだった。

びっくり。

この一年、起動するかな? しないかな? という不安が度々現れたのだが、なーんだ、はじめからこれをやっておけばよかった、というくらいの優れものだった。

つい最近、PEAVEY の Messenger という簡易PA システムを購入したばかりで、パソコンを購入するのは難しいなあ、という台所事情だったので、よかったのだが、早いうちに、もう一台、Mac を買っておきたい。

とにかくこれで、一難去った。

またしても、Mac の知識が増えた。

中古の Mac を見ていて思うのは、もしかしたらその多くが、あれやこれや手を尽くさずに、困難状態からあきらめて手離した物も多いんじゃないだろうか、ということ。

なんとかなる可能性があるのは面白い、と Mac に対して自分では思っているのだが、もしかしたら、大抵の人は、私がやる事くらい当然のこととして頭にあるかもしれない。