『自転車乗るお』

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2020年1月19日日曜日

落語が聞けてよかったと思うこと


2019年12月14日『愛大落語会』開催日の、会場の豊橋市公会堂。











そこいらじゅうから情報が吹き出してくるこの時代に落語がいいと思えたこと
落語のストーリー













前回のこのブログにこのことも書きたかったのだが、忘れてしまった。

スルッと抜け落ちた感じで自分としても気持ち悪いので、付け足しておきます。

大したことではないかもしれないのだが、このブログは、とにかく書いていくブログだし、と思って書かなくちゃあ、ということになった。

何が書きたかったのかと言うと、その日、愛大落語会からの帰り道で、聞いた落語のストーリーを思い出して、いい話だったなあ、落語くらい知っておくべきだなあ、と思ったということだった。

情報化時代である。

まだインターネットが登場するその前から情報化時代だとかいわれてたような気がするが、多くの人が、毎日毎日情報の波の中をかぶって生活しているくらいの感があるんじゃないだろうか?

YouTube に投稿されている動画のサムネイル〜動画表示の画像の情報を見ているだけでも、何が正しくて何が間違ってるかなんてことがわかりにくくなってくることがある。

そうか、これって、こういうことか、とある時思っても、それがまた、時間が経てば、別の意見が正しいような主張が現れる。

そういうものに対して、正解を求めないものの考え方が要るのだろう。

ものの見方は、あてる定規によって、どのようにも見られる。

あることがいいことだとしても、悪いことだって見方によってあるはずなのだ。

とは言え、いい情報ばかり出てくれば、いいと思ってしまうことがあるだろうし、そう思わせるべく意図して出てくる情報もある。

また、ネットを見ていると、この人の言うことはおかしいんじゃないだろうか? と思えるような人でも、大金を稼いでいるとか有名人ということになると、その人の言うことが正しかったり、正義としてとらえる人たちも出てくる。

リアルな社会でも、今そんな感じがありはしないだろうか?

ふざけんなよ、と感じることに追いやられて、しがみつくべきところも情報も考えもないような気もちになったことがありはしませんか?

自分だけかなあ?

うーん、こんな話を誰かとしたことはないのですが、誰が書いた何という本かは思い出せないのですが、人が弱っているときに元気になれるのは、子供の頃読んだおとぎ話のストーリーだ、とかいうことが愛大の落語会なんかに行った後思い出される。

そうか、かちかち言うのはカチカチ山か !    と大切なのはカチカチ山と決めつけたその騙され方、とかいうことでなく、単純なストーリーである、ということをその本は言っていた。

単純なストーリーが人を元気にする。

とは言え、正直者がバカを見る世の中だったり、勤勉も役に立たないかも、という世の中ではないか?  とも思う。

で、私的には、ここで落語が出てくるのである。

今の世の中、そんなに単純なストーリーとはリンクしないことばかりじゃないだろうか?

おとぎ話よりも落語のほうが、いろいろな場面、立場に有効なのではないだろうか? と思うのである。

もちろん、その通りにやろうとしても設定が違っていたりして、実際面で役に立つか、と言うとそんなことはないと思う。

この2019年12月14日の落語会、最後の噺は『ねずみ』だった。

街一番の宿屋の主が街一番の宿屋から追い出され、ほそぼそと暮らすはめになったのだが、そこからまた新しい街一番の宿屋の主になった噺だった。

そうだ、昔から、今起こっているようなことはあったのだ、自分も頑張ろう、となんだか勇気をその噺からもらえた気がして、豊橋の街を歩いていった、ということになったのが私でした。











豊橋の公園の落ち葉。













人が生きていくのにストーリーは必要みたい。

若者にしたら、主食なみに価値があるもかもしれない。

なので若者はテレビドラマなんて見るんだと思う。

自分の場合、結構小説を読んだものだが、近頃はインターネットばかりで、なかなか本は読まなくなって、情報にさらされるばかりみたいな感じ。










ここ数年毎年12月半ばの土曜の午後に『愛大落語会』に脚を運んでいる。

そして毎年、いい噺を聞いたなあ、という感じで帰るのである。























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