『自転車乗るお』

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google play 無料アプリ FlipaClip で使用したひとコマ『自転車乗るお』から

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2016年8月22日月曜日

京都観光、稲荷山登ってきました。















稲荷山を登って千本鳥居を知る
京都・伏見稲荷観光














8/19,京都に行った。

家の用事があったからだが、そのあとは、行きたいところに脚を運んだ。

観光できる。

京都伏見稲荷。

そこに、千本鳥居がある。

京都伏見稲荷に千本鳥居があるということなのだが、その千本鳥居は、自分の頭の中では、公園のようなところがあって、そこに千本鳥居が繋がって伸びている、まあ、その長さは、せいぜい数百mだろう、というイメージだった。

なぜ、そんなふうにイメージしていたかというと、YouTube で、外国人向けのような感じで、千本鳥居の映像を見て知っていたからだった。

多くの YouTube 映像では、外国人に人気があるスポットという紹介だった。

そんな映像では、稲荷山山頂まで続く千本鳥居、ということでなく、続く赤い鳥居の光景、という感じで、こりゃあ、行かなくちゃいけない、という気持ちになるもので、今回の伏見稲荷行きになった。

JR奈良線で『いなり』という駅で降りれば、そこに行ける、と持って行ったガイドブックでわかってそうすることにした。








JR京都駅から二つ目の駅だった。












ガイドブックは、BOOK OFFで買った、古いもので、所々情報が古くなっていて、イベントの出し物など違うだろう、と気をつけたほうがいいのだが、伏見稲荷や千本鳥居は数年で場所を変更することはないだろう、と思えた。

しかし、そのガイドブックでは、千本鳥居は、小さな写真で、簡単にしか紹介されていなかった。

後で思ったのだが、やはり、稲荷山を登る、ということを勧めていないようだし、紹介が小さいのも、千本鳥居は面白いかもしれないが、山登らないでしょ? みたいな意図がその小さな紹介文の裏にあったのだと思われた。

JR奈良線は、ローカルで、観光地に向かう線なのだ、という雰囲気がホームにあった。
観光地図があったし、スーツ姿のビジネスマンや、街中のビルで時間を潰す、みたいな感じの人は見られなかった。

行く途中からして、すでに、外国人が多かった。













『いなり』駅を出ると、すぐ、伏見稲荷の入り口で、観光客でごった返していた。

賑やかだった。

浴衣姿の若者達や、外国人が多く目に付いた。

楽しい雰囲気。

わくわくである。

そーかそーか、ここが伏見稲荷か、メジャーな観光スポットに脚を運んで正解。

自分は一人だし、写真撮って、つぎは、メインの千本鳥居行っちゃお、と向かった。











向かった向かった向かった。










いつまで向かい続ければいいのか、そのうち終わるだろうから、動画で撮り続けちゃおう、とビデオを撮り続けたのだが、千本鳥居は終わらない。

いや、もう、終わる頃だ、と気を取り直して、ぜいぜい言いながら、進む進む進む。

あれー、なんかおかしいなあ、休みたいけど、カメラ回してるしい・・・・、でさすがにこれは続けるの無理だろう、とカメラのスイッチを切って、えー、こんなに高いとこまで来てしまったか! と驚く景色とともに息をついていると、後から来たカップルが、

「今日は、時間ないし、ここから先は、このつぎやな」

「うん、うん」

なんて言って戻っていく。

このつぎは、自分にはないだろう、と思って、行くか、とさらに急坂の階段を上っていった。

そんなに高い山でもないだろう。

また、驚くのは、途中、山への道に、土産物屋などが点在していることで、そのことにも歴史を感じて、すごいところだと、こころはひれ伏して、さらに登り続けた。

登って行くのは、まず、外国人たち。

そして、日本人。

浴衣のお姉さんたちは、もちろん来ない。

ちょっと遠くから来たかなあ、みたいな観光日本人が登って行っているみたいに思えた。

汗だく。

数年振りで、身体中の水分が入れ替わるのでは、という感覚を覚えた。

ペットボトルに水を入れて持ってきたのはよかったし、ビーチ・サンダルみたいな足回りで来なくてよかった。









延延と赤い鳥居が続く。





そして、狐の彫像。





霊山なのだ。







この山を登れば、いいことがあるかもしれない、と思ったりして。








例えば、何かを山登りなどのコースに徹底して敷き詰めたりしても、そこに、企業の金儲けなどの意図が見えれば、どれほど面白いものだとしても、登る人は続かないだろうという気がする。

この山に鳥居がぐるぐると続き、登る人が途切れないのは、薄っぺらなものではないものの力だろう、という気がした。

そして、その長い年月。



























頂上を過ぎて、降りていくのは、清々しい気分だった。

途中、ベンチが並ぶ土産物屋の自動販売機で、ペットボトルの冷たい水を買って飲んだ。

人里まで、少し、時間があった。

もう一度、来たいなあ、と名残惜しそうに、長く、伏見稲荷をうろうろして、駅に向かった。

































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