稲荷山を登って千本鳥居を知る
京都・伏見稲荷観光
8/19,京都に行った。
家の用事があったからだが、そのあとは、行きたいところに脚を運んだ。
観光できる。
京都伏見稲荷。
そこに、千本鳥居がある。
京都伏見稲荷に千本鳥居があるということなのだが、その千本鳥居は、自分の頭の中では、公園のようなところがあって、そこに千本鳥居が繋がって伸びている、まあ、その長さは、せいぜい数百mだろう、というイメージだった。
なぜ、そんなふうにイメージしていたかというと、YouTube で、外国人向けのような感じで、千本鳥居の映像を見て知っていたからだった。
多くの YouTube 映像では、外国人に人気があるスポットという紹介だった。
そんな映像では、稲荷山山頂まで続く千本鳥居、ということでなく、続く赤い鳥居の光景、という感じで、こりゃあ、行かなくちゃいけない、という気持ちになるもので、今回の伏見稲荷行きになった。
JR奈良線で『いなり』という駅で降りれば、そこに行ける、と持って行ったガイドブックでわかってそうすることにした。
JR京都駅から二つ目の駅だった。
ガイドブックは、BOOK OFFで買った、古いもので、所々情報が古くなっていて、イベントの出し物など違うだろう、と気をつけたほうがいいのだが、伏見稲荷や千本鳥居は数年で場所を変更することはないだろう、と思えた。
しかし、そのガイドブックでは、千本鳥居は、小さな写真で、簡単にしか紹介されていなかった。
後で思ったのだが、やはり、稲荷山を登る、ということを勧めていないようだし、紹介が小さいのも、千本鳥居は面白いかもしれないが、山登らないでしょ? みたいな意図がその小さな紹介文の裏にあったのだと思われた。
JR奈良線は、ローカルで、観光地に向かう線なのだ、という雰囲気がホームにあった。
観光地図があったし、スーツ姿のビジネスマンや、街中のビルで時間を潰す、みたいな感じの人は見られなかった。
行く途中からして、すでに、外国人が多かった。
『いなり』駅を出ると、すぐ、伏見稲荷の入り口で、観光客でごった返していた。
賑やかだった。
浴衣姿の若者達や、外国人が多く目に付いた。
楽しい雰囲気。
わくわくである。
そーかそーか、ここが伏見稲荷か、メジャーな観光スポットに脚を運んで正解。
自分は一人だし、写真撮って、つぎは、メインの千本鳥居行っちゃお、と向かった。
向かった向かった向かった。
いつまで向かい続ければいいのか、そのうち終わるだろうから、動画で撮り続けちゃおう、とビデオを撮り続けたのだが、千本鳥居は終わらない。
いや、もう、終わる頃だ、と気を取り直して、ぜいぜい言いながら、進む進む進む。
あれー、なんかおかしいなあ、休みたいけど、カメラ回してるしい・・・・、でさすがにこれは続けるの無理だろう、とカメラのスイッチを切って、えー、こんなに高いとこまで来てしまったか! と驚く景色とともに息をついていると、後から来たカップルが、
「今日は、時間ないし、ここから先は、このつぎやな」
「うん、うん」
なんて言って戻っていく。
このつぎは、自分にはないだろう、と思って、行くか、とさらに急坂の階段を上っていった。
そんなに高い山でもないだろう。
また、驚くのは、途中、山への道に、土産物屋などが点在していることで、そのことにも歴史を感じて、すごいところだと、こころはひれ伏して、さらに登り続けた。
登って行くのは、まず、外国人たち。
そして、日本人。
浴衣のお姉さんたちは、もちろん来ない。
ちょっと遠くから来たかなあ、みたいな観光日本人が登って行っているみたいに思えた。
汗だく。
数年振りで、身体中の水分が入れ替わるのでは、という感覚を覚えた。
ペットボトルに水を入れて持ってきたのはよかったし、ビーチ・サンダルみたいな足回りで来なくてよかった。
延延と赤い鳥居が続く。
そして、狐の彫像。
霊山なのだ。
この山を登れば、いいことがあるかもしれない、と思ったりして。
例えば、何かを山登りなどのコースに徹底して敷き詰めたりしても、そこに、企業の金儲けなどの意図が見えれば、どれほど面白いものだとしても、登る人は続かないだろうという気がする。
この山に鳥居がぐるぐると続き、登る人が途切れないのは、薄っぺらなものではないものの力だろう、という気がした。
そして、その長い年月。
頂上を過ぎて、降りていくのは、清々しい気分だった。
途中、ベンチが並ぶ土産物屋の自動販売機で、ペットボトルの冷たい水を買って飲んだ。
人里まで、少し、時間があった。
もう一度、来たいなあ、と名残惜しそうに、長く、伏見稲荷をうろうろして、駅に向かった。
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